会長のマンスリーメッセージ

会長マンスリー
2021.10

女性が参政権を得るまで

岸田文雄内閣総理大臣が誕生し、戦後最短の選挙期間となる衆議院選挙が公示され、日本の未来を決める選挙が始まりました。当たり前のように感じているかもしれない私たち女性の参政権、どんなふうに獲得してきたのでしょうか?

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14年)のことです。フランス革命当時の欧米と同じように、一定額の納税者の男性のみが持つ参政権でした。女性においては、明治末から大正デモクラシーの時代に、政治的権利を求める機運はあったものの、治安警察法によって女性が政治的な立会演説を聞くことすら禁じられていたのです。

女性の集会参加の自由や女性が弁護士になることを可能としたのは、多くの女性たちの戦いがあったからです。『原始、女性は太陽であった』の平塚らいてうが青鞜社を結成。そこに市川房江、奥むめおらによる新婦人協会(1919年)が加わり、ガントレット恒子、久布白落実の日本婦人参政権協会(1921年)、後に日本基督教婦人参政権協会となり、各団体が大同団結し、山根キクを理事とする婦人参政同盟が日本婦人協会(1923年)を創設、婦人参政権獲得期成同盟(1924年)が結成され、女性の政治的・社会的権利獲得の面で運動を展開しましたが、参政権獲得には至りませんでした。

1931年には、婦人参政権を条件付きで認める法案が衆議院を通過するのですが、貴族院の反対で廃案になります。日本で女性に参政権が与えられたのは、第二次世界大戦後のことで、アメリカの軍政下にあった沖縄の収容所で行われた市会議員選挙が初めてでした。

日本本土では、1945年10月10日に幣原喜重郎内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされ、翌11日、連合国軍(GHQ)総司令官ダグラス・マッカーサーが行った5大改革の指令に、「参政権賦与による日本婦人の開放」が盛り込まれたと「日本の戦後改革」に記されています。

1945年11月21日には、まず勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められ、次に、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布によって、女性の国政参加が認められます。

1946年(昭和21年)4月10日、戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生します。そして、その年の5月16日第90特別国会の審議を経て、大日本帝国憲法の全面改正案が成立し、第14条の「法の下の平等」で女性参政権が明確に保障された日本国憲法が11月3日に公布され、1947(昭和22)年5月3日に実施されたのでした。その年行われた参議院選挙では、日本看護協会初代会長の井上なつゑ氏が当選を果たします。

長い年月、先輩諸姉の数々の働きや運動があって獲得できた女性の参政権を、無駄にしてはもったいない。私たちの国の行く末を考えて、ご自身の意思表示を衆議院選挙の1票で示しましょう。この大切な権利を行使しましょう、私たちの未来のために!

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