日本看護連盟について
看護連盟のあゆみ
日本看護協会は、看護職の地位向上・環境を改善するには政治の力が必要であると、創立直後から一貫して、国政の場へ看護の代表を送り続けてきました。看護職と関わりの深い制度・法律をつくったり改正することは、国会議員にしかできないからです。
看護協会の目指す施策・制度・法律を実現するために、看護連盟が創設されました。日本看護連盟は、看護職の地位向上・環境改善のために活動を続けています。
- 昭和34年~昭和39年(1959~1964)
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昭和34年(1959年) 6月17日~19日 日本看護協会通常総会開催(於名古屋市)。政治活動のできる団体をつくるなどを議決。 7月 特別委員会として「日本看護連盟(仮称)設立準備委員会」発足。委員長に河村郁就任。 10月15日 日本看護連盟設立。初代会長に林塩就任。日本看護連盟は、日本看護協会の目的を達成するために、必要に応じて政治活動を行うことを目的とした。 昭和35年(1960年) 3月15日 機関紙「連盟通信」創刊号発行、以後毎月10日の発行となる。 4月20日 日本看護連盟結成大会開催(第一回総会、於東京)。各県支部の結成を事業計画の重点事項とすることに決定。 7月 林会長、中山マサ厚生大臣に、厚生省看護課の復活を要望。 10月10日 病院スト全国的に波及。林会長は病院ストは人権ストであり、スト規制に反対であるとし、看護を正当に評価するよう声明を発表。看護婦の処遇の改善と病院管理の不合理の是正を厚生大臣に陳情。 昭和36年(1961年) 5月13日 昭和36年度連盟総会開催(於静岡)。第6回参院選に林塩協会長を組織代表とすることに決定。 12月19日 「林塩はげます会」結成。 12月 勤務時間、週48時間から44時間に改善。 昭和37年(1962年) 3月1日 中央選挙対策本部設置。本部長に浅野花子就任。 4月28日 昭和37年度連盟総会開催(於東京、日本大学講堂)。 7月1日 第6回参院選で林塩当選。得票数518,795票。
看護師不足問題が深刻化。昭和38年(1963年) 4月1日 厚生省に看護課復活。看護課長に永野貞就任。 5月11日 昭和38年度連盟総会開催(於新潟市体育館)。
連盟規約改正案、
①総会を最高決議機関とする、
②会長以下の全役員を代議員の投票で決める。
③常任書記長制とする、
④会費の値上げ、
などを討議。会費を値上げし、昭和39年度から500円とすることに決定。初代書記長に浅野花子就任。7月25日 連盟は選挙のためだけの存在かという疑問にこたえるために、林協会連盟会長他役員、日本精神科看護技術協会の役員による座談会を開催し「統一見解」としてまとめる。 9月14日 全国支部長会で「静脈注射を看護婦がやってもよい」とする厚生省の行政解釈の動きに反対し、静脈注射は看護婦の業務外行為とする現行法解釈を支持することを決定。 12月18日024日 協会と合同で全国一斉に看護婦は静脈注射を行わない統一運動を展開。 昭和39年(1964年) 4月25日 昭和39年度連盟総会開催(於東京、日本大学講堂)。林塩参議院議員「私の国会活動」配布。 9月20日 協会・連盟の合同支部長会で、石本茂看護婦会会長を次期参院選候補に推せんすることを決定。 11月27日 「連盟通信」号外で、石本茂看護婦会会長が第7回参院選の候補者として初出場することの決定を会員に伝える。 12月5日 保助看法改正案で協会が臨時総会を開催し、採択。石本茂看護婦会会長を第7回参院選候補とすることに決定。
- 昭和40年~昭和49年(1965~1974)
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昭和40年(1965年) 1月 「石本しげる後援会」結成。 4月25日 昭和40年度連盟総会開催(於長崎市公会堂)。参院選候補石本しげるの必勝を誓い合う。石本しげる著「すこやかな赤ちゃん」「がんの知識」のパンフレットを発行。 5月1日 中央選挙対策本部設置。本部長に林塩就任。 7月4日 第7回参院選で石本茂当選。得票数439,909票。国会に看護職が2議席占める。石本議員の得票数は予想を下回る結果であったため、協会・連盟の組織力の弱さが問題となり、選挙についてのアンケート調査を実施。 8月 看護連盟の要望5項目を、協会に申入れた。 11月 協会は、協会と連盟との関連を検討する特別研究委員会を発足させ、看護連盟の目的、役員の構成等について討議。第1回連盟看護研究会開催(3日間)。全国から78名の活動者を集め、政治教育を集中的に実施。 昭和41年(1966年) 4月24日 昭和41年度連盟総会開催(於東京、日本大学講堂)。連盟規約改正を継続して検討することとなる。 7月 連盟規約改正について協会との合同支部長会を開催。 昭和42年(1967年) 5月1日 連盟臨時総会開催(於大阪、中央体育館)連盟規約改正案可決。連盟会長を本部長と改称。本部長に須古都就任。昭和42年度看護連盟総会開催(於大阪、中央体育館)。第8回参院選の候補者については、支部長会にもちこされる。 9月 全国支部長会において第8回参院選に石本茂を組織代表とすることに決定。石本茂の推せん者として、市川房枝(参議院議員)他11名の著名人が名前を連ねた。 昭和43年(1968年) 4月 昭和43年度連盟総会開催(於東京)。 7月7日 第8回参院選で石本茂落選。得票数448,409票。協会会員1人当たり得票数は3.71票と、前回の石本選挙の4.46票をさらに下回る結果となった。林塩、自民党公認で立候補し落選。得票数293,930票。 7月20日 全国支部長会開催。参院選の敗因について討議。 10月12日013日 政治意識を高める目的で、第一回活動者講習会を協会会館で開催。 11月 会員の政治意識に関するアンケート調査実施。 11月14日022日 協会、連盟共催の「健康を守る看護大会」を前に、増員、待遇改善、制度改善の3項目の実現を目指して全国一斉に街頭署名運動を展開。877,795人の署名簿を厚生大臣に提出。 昭和44年(1969年) 1月16日 協会、連盟主催「健康を守る看護大会」開催(於東京、久保講堂)。 4月25日 昭和44年度連盟総会開催(於 愛知県体育館)連盟規約一部改正。本部長を会長と改称。会長に水野しづ就任。第9回参院選に石本茂を組織代表とすることに決定。 6月10日 参議院労働委員会が、看護職員の不足対策に関する決議を採択。 8月 夜間看護手当100円 → 200円となる。 11月 初の地区別支部長会、研修会を開催。 昭和45年(1970年) 1月21日 厚生省の「高卒+1年」の准看護婦養成案に対して、自民党看護婦対策小委員会と厚生省に賛成できない旨要望。 2月8日 「石本しげる後援会」結成。 4月28日 昭和45年度連盟総会開催(初めて連盟独自の総会、於東京、共立講堂)。会長に関光就任。創立10周年記念式典挙行、受賞者95名。 8月24日 臨時総会開催(於東京、大田区体育館)。石本茂候補の自由民主党入党を承認。 12月2日 「石本しげるを励ます会」開催。 昭和46年(1971年) 5月11日 昭和46年度連盟総会開催(於広島市、県立体育館)。日本看護連盟の歌決定(柴田キヨ子作詞、白石十四男作曲)。石本しげる総決起大会開催。 6月27日 第9回参院選で石本茂当選。得票数547,283票。 12月 石本議員の自民党入党後最初の政府予算案において、看護関係予算が一挙に47%アップとなる。看護教育機関への運営費補助(昭和45年度予算化から実施)。 昭和47年(1972年) 4月23日 昭和47年度連盟総会開催。第10回参院選の候補者および連盟活動方針、連盟総会を協会と切り離して独自の開催等について審議。 7月 自民党内に看護技術者対策特別委員会発足。委員長に山下春江、副委員長に石本茂就任。 9月26日 総合役員会開催(中央役員11名、地区委員9名)。連盟の基本的性格及び次期参院選の候補者について討議。 昭和48年(1973年) 1月 昭和48年度国家予算編成にあたり積極的な陳情活動を展開。夜間看護手当が現行350円から一挙に1,000円に引きあげられた。 4月 自民党内に、看護技術者対策議員連盟(看議連)設置。自民党衆・参両議員146名。会長に大橋武夫、事務局長に石本茂就任。 6月24日 昭和48年度連盟総会開催(於東京)。規約改正および次期参院選の候補者について討議。第10回参院選に候補者なし、と決定。 10月 連盟の基本的性格についてアンケート調査実施(会員2,000名対象)。 12月27日 石本議員、厚生政務次官就任。 昭和49年(1974年) 1月13日 石本茂議員厚生政務次官就任祝賀会。看護連盟決起大会開催。 1月13日 第10回参院選の推せん候補者として自民党候補丸茂重貞、山下春江。横山フクの3氏を決定。 5月14日 昭和49年度連盟総会(於東京)。会費を値上げ、昭和50年度から500円→1,000円に決定。 7月7日 第10回参院選で丸茂重貞当選。山下、横山落選。
- 昭和50年~昭和59年(1975~1984)
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昭和50年(1975年) 5月9日 昭和50年度連盟総会開催(於東京、共立講堂)。創立15周年記念式典挙行、受賞者71名。第11回参院選に石本茂を組織代表とすることに決定。『看護連盟小史一15年の歩み』刊行。 7月3日 育児休業法、専修学校、成立。 8月1日 石本しげる後援会結成。会長に四ヶ所ヨシ(芙蓉会会長)就任。 12月6日 石本しげる後援会発会式開催。 昭和51年(1976年) 3月24日 准看護婦養成廃止総決起大会(於東京、青年館)。白衣のデモ行進、45万人分の署名を衆・参院議長に提出。 5月14日 昭和51年度連盟総会開催(於東京、共立講堂)。政治資金規制法の改正に従って、連盟の目的、役員選挙等について、規約の一部改正を審議。創立以来16年目にして政治団体として独自の規約となる。「石本しげるを励ます・わかばパーティー」開催。 9月 石本茂議員、国会報告のパンフレット発行。「豊かな福祉社会の実現を」。 昭和52年(1977年) 2月 全国支部結成完了。 5月8日 昭和52年度連盟総会開催(於東京、銀座中央会館)。 7月10日 第11回参院選で石本茂当選。得票数651,553票。 10月 政治意識に関するアンケート調査実施(連盟会員1,000名対象)。 11月 「看護連盟意識調査報告書」発行。 昭和53年(1978年) 2月10日012日 支部リーダー全国研修会(於埼玉、国立婦人教育会館)開催。支部長、書記長、財務部員140名出席 4月24日 昭和53年度連盟総会開催(於東京、読売ホール)。第12回参院選に寺沼幸子書記長を組織代表とすることに決定。会費値上げ、昭和54年度から1,000→1,500円とすることに決定。 昭和54年(1979年) 4月30日 昭和54年度連盟総会開催(於東京、読売ホール)。規約一部改正案(執行部強化を図るため必要に応じ複数書記長制)が可決。寺沼幸子後援会発会式開催。会長に山口良泰(日本精神科看護技術協会会長)就任。「寺沼幸子を励ます会・さわやかパーティー」開催。「寺沼幸子一その歩みと人柄」発行配布。 9月7日 旧陸海軍看護婦に日赤従軍看護婦同様恩給を支給する法案が可決成立。 昭和55年(1980年) 2月 寺沼幸子後援会会長、石本茂議員に交替。 5月7日 昭和55年度連盟総会開催(於東京、読売ホール)。寺沼幸子を励ます総決起大会開催。 6月22日 第12回参院選で寺沼幸子(全国区、自民)56位で落選。得票数527,066票。 昭和56年(1981年) 5月7日 昭和56年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。創立20周年記念式典挙行受賞者113名。関光会長が勇退し、新会長に宮田父代子就任。第13回参院選に石本茂顧間を組織代表とすることを決定。「連盟小史20年の歩み」刊行配布。 7月30日031日 全国支部長会開催(於東京、看護協会会館)。連盟組織の強化を図るため、連盟会員増加運動と協会・連盟の合同役員会開催の定例化について討議。 9月30日 石本しげる後援会結成。会長に小倉一春(メヂカルフレンド社社長)就任。 9月011月 初の協会・連盟合同地区別支部長会開催 昭和57年(1982年) 4月26日 昭和57年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。会費値上げ、昭和58年度から1,500円→2,500円に決定。関光前会長を連盟顧問とすることに決定。規約細則の改正を討議。 5月20日 「石本しげるを励ます会」開催。石本議員の足跡をまとめた「紅そめし」発刊。 7月17日 協会、連盟合同全国支部長会開催(以後毎年開催となる)。 10月 自由民主党看護連盟職域支部が45府県で結成(東京、静岡は除く)。 12月17日 「自由民主党看護連盟職域支部全国協議会」結成。会長に石本茂議員就任。 昭和58年(1983年) 4月27日 昭和58年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。自民党発行の月刊紙「りぶる」の購読者拡大で連盟が全国一の成績をあげ、中曽根総裁より感謝状が贈られた。石本しげるを励ます総決起大会開催。 6月25日 第13回参院選(初めて比例代表制が導入)で石本茂、自由民主党比例代表登載名簿13位で当選。 8月25日 自民党社会部会看護問題小委員会(委員長石本茂議員)において看護学校副校長に看護職を起用することについて要望。 昭和59年(1984年) 1月18日 看議連の総会で看護対策予算の確保について陳情。保健所運営費補助の一律カットを免れ、保健所保健婦の人件費が実質的に従来と同じに。昭和59年4月より3看護学校に看護職による副校長の設置が決定。 6月29日 昭和59年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。副会長に杉谷藤子(協会常任現職)が就任。 9月 9月末で連盟会員11万名。突破対協会員比率40.4%。 11月1日 石本茂議員国務大臣 環境庁長官に就任。 12月19日 「石本茂環境庁長官を囲む集い」開催。
- 昭和60年~昭和63年(1985~1988)
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昭和60年(1985年) 4月1日 清水かよこ後援会結成。会長に石本茂就任。 5月1日 昭和60年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。創立25周年記念式典挙行、受賞者124名。「連盟小史一25年の歩み」刊行。第14回参院選に清水嘉与子前厚生省看護課長を組織代表とすることに決定。「清水かよこを励ます会」開催。 12月12日 環境庁の呼びかけに応じて「自然に触れることの少ない都会の母と子のための森づくり基金」に全国から寄せられた協会、連盟合わせて2,000万円を石本茂長官に手渡した。 昭和61年(1986年) 4月23日 昭和61年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。「清水かよこを励ます総決起大会」開催。 4月29日 石本茂議員、勲一等瑞宝章を受章。 7月7日 第14回参院選で清水嘉与子、自由民主党登載名簿23位で落選。 8月 連盟組織検討委員会設置(協会連盟合同)。協会、連盟の表裏一体化について検討。 昭和62年(1987年) 4月25日 昭和62年度連盟総会開催(於東京、日本青年館)。連盟規約一部改正。目的を看護協会の目的達成のための政治活動として復活し、日本看護協会長が看護連盟会長を兼務とした。宮田父代子会長が任期満了で退任し、新会長に大森文子就任。 9月 青年会員を対象に野外研修会を実施(4泊5日群馬県 バラギ高原)。 12月 中央研修会実施(2泊3日東京代々木オリンピックセンター)。 昭和63年(1988年) 1月 「清水かよこ後援会」結成。会長に石本茂就任。 4月25日 昭和63年度連盟総会開催(於東京、郵便貯金会館)。「清水かよこ励ます会」開催。 4月 大森文子(元連盟会長)勲三等瑞宝章受章。 9月4日06日 中央研修会実施(2泊3日富士山麓)標語募集119首応募の中9首入選。
- 平成元年~平成10年(1989~1998)
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平成元年(1989年) 5月18日 平成元年度連盟総会開催(於東京、日比谷公会堂)。標語入選者の表彰。「清水かよこ必勝総決起大会」開催。 7月6日 石本茂議員24年間の参議院議員を引退。 7月23日 第15回参院選で清水嘉与子、自由民主党比例代表登載名簿一位で当選。 11月16日 石本茂議員に対して「感謝の集い」開催。 平成2年(1990年) 4月23日 平成2年度連盟総会開催(於東京、メルパルクホール)。創立30周年記念式典挙行 受賞者98名。 8月24日 看護問題小委員会で看護の日の制定、処遇改善等について陳情。 10月 清水嘉与子議員活動記録「1年生議員の永田町日記」を出版。 12月3日 厚生省は5月12日を「看護の日」として全国的に記念行事を行うこととし「看護の日」「看護週間」を制定。 12月28日 平成3年度看護関係予算で夜間看護手当3,200円に増額。 平成3年(1991年) 4月24日 清水嘉与子議員、若手国会議員と夜間看護の実態視察。 5月12日 第1回「看護の日」、皇后陛下ご臨席のもとに開催(於:日比谷公会堂)。メインテーマ「看護の心をみんなの心に」各地で看護の日の制定を記念にイベントが開かれる。 5月25日 平成3年度連盟総会開催(於東京)。大森文子会長勇退。新会長に有田幸子協会長。第16回参院選に南野知恵子(前日赤大学教授)を組織代表とすることに決定。 7月18日 大森文子前連盟会長、フローレンス・ナイチンゲール記章受章。 12月27日 平成4年度政府予算案で看護婦確保に重点を置き看護職員確保対策費決定。 平成4年(1992年) 3月31日 「看護婦等人材確保法案」が参議院先議となり清水嘉与子議員が代表質問。 4月21日 平成4年度連盟総会(於東京、日比谷公会堂)のおの知恵子必勝総決起大会。 7月26日 第16回参院選で南野知恵子、自由民主党比例代表登載名簿第16位で当選。 8月 清水嘉与子議員、国会活動記録第2版「永田町日記」を出版。 11月 「看護婦等人材確保法」施行。 平成5年(1993年) 4月29日 有田幸子会長、フローレンス・ナイチンゲール記章受章。 6月5日 平成5年度連盟総会開催(於東京、日比谷公会堂)。会費値上げ、平成6年度より2,500円→5,000円とすることに決定。有田が会長勇退。新会長に見藤隆子協会長就任。第17回参院選に清水嘉与子を組織代表とすることに決定。 9月28日030日 中央研修会開催(於山梨県朝霧高原)。 10月 「清水かよこ後援会」発足。会長に南野知恵子議員就任。 10月13日 保健士導入のための保助看法改正について衆参厚生委員等に陳情。 11月 “りぶる”「看護特集」を清水かよこ政策研究会が出版。 11月12日 「保健婦助産婦看護婦法一部改正案」(議員立法)衆議院で可決成立。男子にも保健婦国家試験受験資格が付与され。保健士の名称で業務ができることとなる。 平成6年(1994年) 2月15日 平成6年度看護関係予算で人材確保法をバックに都道府県ナースセンターに電算機導入。 4月20日 保健士国家試験合格発表(受験93名中67名合格)。 4月27日 平成6年度連盟総会開催(於東京、日比谷公会堂)。役員の一部改選。「清水かよこを国政へ」の決起大会開催。 8月4日 全国支部事務職員研修(第一回、於東京、九段会館) 平成7年(1995年) 1月1日 政治資金規正法の改正施行。 1月18日 阪神・淡路地震被災者への義援金募集開始。 3月 平成9年から看護婦国家試験合格発表が3月となり、国家公務員新卒看護婦の昇給時期が7月から4月に繰り上げられることに決定。 4月28日 平成7年度連盟総会開催(於東京、日比谷公会堂)。会長に臼杵久子前副会長が就任(見藤会長が長野県立看護大学学長就任のため)。清水かよこ必勝総決起大会開催。 5月23日 清水かよこ後援会名簿査察。 6月8日 優生保護法一部改正。 7月23日 第17回参院選で清水嘉与子、自由民主党比例代表登載名簿7位で当選。 7月24日 清水嘉与子組織代表当選を祝い、必勝ダルマ両目入れ。 9月27日029日 中央研修会(於静岡、西熱海ホテル)開催。 11月2日 南野労働政務次官の発案で、労災病院玄関表示板に看護部長名を明記することについて、労働福祉事業団総務部長から通達。 11月3日 有田幸子元連盟会長(現顧問)勲三等瑞宝章受章。石本茂顧問、石川県北国新聞社より北国文化賞受賞。 11月 高齢社会対策基本法成立。 11月6日 連盟会長の諮問により連盟組織の見直しをはかるための特別委員会設置。委員長に三浦規(聖マリアンナ医科大学看護専門学校校長)、ほか委員7名。 12月 平成8年度看護関係予算で夜間看護手当改善。準夜2,900円、深夜3,300円、交替夜勤6,800円(新設)・看護大学構想検討費・准看護婦問題調査検討費等の予算化。 平成8年(1996年) 1月18日 労働安全衛生法一部改正、産業保健婦誕生。 4月1日 労働省、中央労働災害防止協会、健康確保推進部に看護職のポスト創設。 5月31日 平成8年度連盟総会開催(於東京、日比谷公会堂)。創立35周年記念式典挙行、受賞者144名。第18回参院選に南野知恵子を組織代表とすることに決定。清水嘉与子議員、のおの知恵子後援会長に就任。 7月 清水・南野両議員、療養型病床群病棟に勤務する補助者に介護福祉士国家試験受験資格を与えるよう努力。(第9回国家試験から実施となる) 9月26日 優生保護法が母体保護法に改正。 9月26日028日 平成8年度中央研修会を開催(於静岡、西熱海ホテル)。 平成9年(1997年) 5月23日 平成9年度通常総会開催(於東京、日比谷公会堂)。 9月4日05日 平成9年度中央研修会を開催(於東京、品川プリンスホテル) 11月13日 南野知恵子議員、第18回参議院議員通常選挙自由民主党比例代表選出議員候補に決定。 12月1日 日本看護協会「准看護婦養成停止を求めるつどい」を開催。その後厚生省を訪れ、准看護婦から看護婦への移行教育を審議する検討会を早急に求める要望書を厚生大臣に手渡した(清水・南野両議員、協会・連盟役員)。 平成10年(1998年) 5月15日 平成10年度通常総会開催(於東京、日比谷公会堂)。のおの知恵子総決起大会「のおの知恵子を引き続き国政へ」開催。 7月12日 第18回参院選で南野知恵子議員、自由民主党比例代表登載名簿第7位にランクされ当選。 9月11日012日 平成10年度中央役員研修会開催(於:東京、品川プリンスホテル) 12月0翌年3月 看護技術者対策議員連盟(看議連)主催勉強会開催。「医療保険制度と看護問題」をメインテーマに6回にわたり開かれ、連盟及び協会から出席者。
- 平成11年~平成20年(1999~2008)
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平成11年(1999年) 2月25日 看護技術者対策議員連盟総会で要望書提出。
1)中央省庁再編及び改革にあたって、看護課の強化・拡充を図られたい
2)准看護婦から看護婦への移行教育を開始するにあたっては准看護婦養成停止の時期を明らかにした上で取り組まれたい
3)訪問看護に基準該当サービスを設けられたい
4)急性期病床で十分な夜勤体制が組めるよう患者対看護職員1.5対1以上、慢性期病床では3対1以上の人員を設けられたい
5)看護記録等診療記録の開示に関しては法制化した上で開示にあたっての条件整備を促進するとともに、保健婦助産婦看護婦法など関連の整備を図られたい6月4日 平成11年度通常総会開催(於東京、赤坂プリンスホテル)。清水嘉与子議員を次期参院選候補者として組織代表に決定。創立40周年記念式典挙行、受賞者155名。清水・南野両議員を励ます会開催。 6月15日 男女共同参画社会基本法が成立。性別による差別的取扱いをしないなど男女の人権の尊重、国・地方公共団体などの政策決定に男女が共同して参加する機会を確保するなど、をあげている。 6月24日 厚生省「准看護婦資質の向上検討会」報告書まとまる。准看護婦養成の改善策として、学習環境、教員数、カリキュラムなどの基準を現状よりも大幅に引き上げる内容。 9月17日018日 平成11年度中央研修会開催(於東京、品川プリンスホテル)。看護管理者105名出席。 10月2日 南野知恵子議員、清水かよこ後援会会長に就任。 10月5日 清水嘉与子議員、第2次小渕内閣国務大臣・環境庁長官(地球問題担当)に就任。 10月12日 南野知恵子議員、参議院自民党副幹事長に就任。 平成12年(2000年) 3月30日 保助看法改正について、支援団体代表として看護技術者対策議員連盟や看護問題小委員会の国会議員に協会長とともに陳情。
1)男子への助産等業務の開放について
2)「婦・士」から「師」への名称変更について4月3日 第1次森内閣発足。清水議員、国務大臣環境庁長官に再任。 6月2日 平成12年度通常総会開催(於東京、東京プリンスホテル)。12年ぶりに連盟規約改正。書記長を幹事長と改称。「清水嘉与子議員を引き続き国政へ」決起大会開催。 7月4日 第1次森内閣総辞職、第2次森内閣発足。清水嘉与子環境庁長官辞任。 7月25日 看護技術者対策議員連盟会長に橋本龍太郎元総理大臣が就任(津島会長、厚生大臣就任のため)。 9月8日09日 平成12年度中央研修会開催(於東京、品川プリンスホテル)。看護管理者133名が参加。 9月21日 第150回臨時国会(12月1日まで72日間)で、公職選挙法の一部改正(参議院定数10名削減、非拘束名簿式導入)、医療法の一部改正(看護要員を4対1から3対1へ)などが焦点に。 10月5日 清水嘉与子議員、第19回参議院選挙比例代表選出議員自民党公認候補に内定。 10月26日 公職選挙法の一部改正案成立。非拘束名簿式比例代表制(候補者名を書く選挙)になる。 平成13年(2001年) 5月1日 南野知恵子議員、厚生労働副大臣に就任。 5月11日012日 平成13年度中央研修会開催(於東京、品川プリンスホテル)看護管理者132名が参加。 5月31日 平成13年度通常総会開催(於東京、東京プリンスホテル)。清水かよこ総決起大会開催。 7月29日 第19回参議院議員選挙投票日。 7月30日 清水嘉与子候補、自由民主党参議院比例区第12位で当選。得票数174,517票。 12月 「婦・士」を「師」に変えるための保健婦助産婦看護婦法改正案成立。 平成14年(2002年) 3月1日 保健師・助産師・看護師・准看護師に名称変更。 3月 第19回参院選の結果をうけて、会員の連盟活動や、政治活動についての意識や要望を把握することを目的とした「看護連盟会員意識調査」を実施し、2,400人が回答。 6月14日 平成14年度通常総会開催(於東京、ホテルオークラ)。次期参院選の候補者として、南野知恵子議員を組織代表に決定。中央役員に常任幹事を新設し中央役員体制を強化、研修会活動及び広報活動に重点をおく14年度活動計画案、他全議案を可決承認。清水・南野両議員を励ます会開催。 6月07月 自由民主党厚生労働部会の看護問題小委員会が看護に関する勉強会を開催。 9月20日021日 平成14年度中央研修会開催(於東京、品川プリンスホテル)。看護管理者144名が参加。 11月12日 連盟と協会、自由民主党の政務調査会厚生労働部会長および同組織本部厚生関係団体委員長に対し、平成15年度の国家予算および税制に関して要望。
重点事項
1)看護師養成2年課程の通信制度の弾力的運用のための予算措置
2)看護職員臨床技能向上推進事業への十分な予算措置
3)安全なケア提供のための看護職の卒後臨床への予算措置
4)訪問看護はじめ在宅サービスの充実のための介護報酬の改訂
5)医療の財源確保のためのタバコに関する税率の引き上げ平成15年(2003年) 1月14日 のおの知恵子後援会総会開催(於:東京 東京プリンスホテル) 6月6日 平成15年度通常総会開催(於:東京 ホテルニューオータニ)。創立45周年記念式典挙行、受賞者263名。のおの知恵子を引き続き国政へ決起大会開催。 7月9日 自由民主党で看護問題小委員会・看護技術者対策議員連盟行動会議が開かれ、日本看護協会と日本看護連盟は連名で要望書を提出。 7月28日029日 平成15年度第1回看護管理トップセミナー開催(於:東京、品川プリンスホテル)。看護管理者124名が参加。 7月31日 のおの知恵子参議院議員、自民党比例代表公認候補に決定。 9月12日013日 平成15年度第2回看護管理トップセミナー開催(於:東京、品川プリンス)。看護管理者123名が参加。 10月6日 日本看護協会と日本看護連盟、「平成16年度政府予算・税制改正に関する要望」を自由民主党の厚生労働部会長・厚生関係団体委員長に提出。 10月29日 連盟通信Weekly(ファクス・ニュース)を施設連絡員や代表者、支部役員等に配布開始。 11月9日 第43回衆議院議員選挙で能勢和子が中国地区比例代表順位4位にランクされ当選。 11月19日 中医協総会で、中医協(中央社会保険医療協議会)へ看護職委員を追加することが正式に決定。 12月24日 平成16年度看護関係予算で従軍看護婦の慰労給付金が大幅にアップ。 平成16年(2004年) 2月20日 看護問題小委員会(清水嘉与子委員長)が開催され、協会・連盟の役員が出席。FTA(自由貿易協定)交渉における看護職員の受け入れ要望等についてが主な議題。 6月4日 平成16年度に通常総会開催(於:東京、ホテルニューオータニ)。会長に見藤隆子(前長野県看護大学学長)が再任。のおの知恵子総決起大会開催。 7月11日 第20回参議院議員選挙投票日。のおの知恵子候補、自由民主党参議院比例区第14位で当選。得票数152,685票。 9月27日 のおの知恵子議員、法務大臣・内閣政府特命青少年問題・少子化問題担当に就任。
能勢和子議員、環境大臣政務次官に就任。
清水嘉与子議員、参議院少子高齢社会調査会長に就任。10月2日 看護基礎教育者を対象とした看護教育者セミナーをはじめて開催。 11月26日 全都道府県での陳情活動により三位一体改革による看護政策の後退を阻止。 平成17年(2005年) 6月3日 平成17年度通常総会開催(於:東京、東京プリンスホテル)。リフォーム連盟を承認。「都道府県看護連盟」等に改称、各都道府県で支部の設置始まる。3人の議員による国政報告開催。 9月11日 あべ俊子候補、岡山3区から衆議院議員選挙出馬。比例中国ブロック第1位で当選。得票数59,303票。 9月012月 初めての都道府県別会議を開催。 10月20日 入院基本料1.5:1以上の創設などを求める要望書を自由民主党看護技術者対策議員連盟に提出。 11月15日 連盟通信最終号(485号)発行。 12月 新機関誌「N∞【アンフィニ】」創刊。会員自宅に直送開始。 平成18年(2006年) 4月1日 診療報酬改定で入院基本料7対1新設。介護報酬改定で療養通所介護の評価新設。 6月2日 平成18年度通常総会開催(於:東京、東京プリンスホテル)。松原まなみ(元福岡県立大学看護学部教授)を次期参院選候補者として組織代表に決定。 10月012月 都道府県県別研修会を開催。「安心して活動するために」と題し選挙違反防止を徹底。 10月 「日本看護連盟45年のあゆみ」を発行。 12月 支部結成進む。全国に452支部。 平成19年(2007年) 4月13日 看護技術者対策議員連盟の総会開催名称を「看護問題対策議員連盟」に変更。 6月4日 平成19年度通常総会開催(於東京、東京国際フォーラム)。松原まなみ5000人集会開催。 7月28日 清水嘉与子参議院議員勇退(3期18年)。 7月29日 松原まなみ候補、自由民主党参議院比例区18位で落選。得票数167,593票。 11月22日 日本看護連盟政治アカデミー開校。校長に清水嘉与子前参議院議員。第一期生入学式。 11月3日 清水嘉与子前参議院議員、旭日大綬章受章。 11月28日 清水嘉与子先生「感謝の集い0旭日大綬章 受章を祝う会」開催。 12月10日 石本茂先生・小林冨美子先生を偲ぶ会を日本看護協会と共催。 平成20年(2008年) 南野知惠子議員、クロアチア共和国から叙勲。 3月17・18日 新会員管理システムの導入で一斉研修開催。 3月31日 支部数増加、全国で547支部。 6月5日 第1回ポリナビワークショップ開催(於東京、JNAホール)。約150人の若手会員が参加。 6月6日 平成20年度通常総会開催(於東京、東京プリンスホテル)。名誉会員・学生会員創設等のための規約一部改正、全会員の基礎研修の実施、活動計画などが承認される。 10月14日 日本看護連盟政治アカデミー第1期生卒業式。9名が卒業。 11月17日 日本看護連盟政治アカデミー第2期生、10名入学。 11月27日 南野議員らの要望により、厚生労働大臣直轄の「看護の質の向上と確保に関する検討会」が設置され、第1回会合開催。 12月6日 第2回ポリナビワークショップin 兵庫(於兵庫県看護会館ハーモニーホール)。約300人が参集。 12月8日 南野議員。あべ俊子議員の尽力により自由民主党内に「看護の質向上と確保に関するプロジェクトチーム」合同会議が発足(座長に田村憲久衆議院議員、事務局長に菅原一秀衆議院議員)。看護師基礎教育の充実、研修制度定着を目的とした保助看法改正に向けた具体的検討が開始された。
- 平成21年~(2009~)
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平成21年(2009年) 3月31日 支部数全国で625支部 5月29日 平成21年度通常総会 於:ザ・プリンス・パークタワー東京
たかがい恵美子氏を第22回参議院選挙候補者として組織代表に決定
日本看護連盟に名誉会員創設、33名を通常総会で承認
日本看護連盟創立50周年記念式典挙行7月9日 改 正保健師助産師看護師法、改正看護師等人材確保法成立
卒後臨床研修の努力義務化
看護師国家試験受験資格に大学卒業を追加・明記
保健師・助産師の教育年限を6か月以上から1年以上にする7月21日 衆議院解散(麻生内閣) 8月30日 第45回衆議院議員選挙
あべ俊子候補 中国ブロック比例1位で再選 得票数52,626票9月16日 政権交代(民主党、国民新党、社民党の連立政権)
鳩山由紀夫内閣(第93代内閣総理大臣)発足11月9日 自由民主党に対し、たかがい恵美子氏を次期参議院議員選挙比例代表候補として公認申請 11月26日 日本看護協会ニュース「日本看護連盟の次期参院選(第22回参議院選挙)に向けた方針を支持せず」 平成22年(2010年) 2月24日 南野知恵子議員第6回.ヘルシー・ソサエテイ賞受賞 4月1日 支部数全国で648支部 5月28日 日本看護連盟通常総会
「たかがい恵美子と未来を創る会」総決起大会
於:ザ・プリンスパークタワーホテル6月8日 鳩山内閣総辞職、菅直人内閣(第94代総理大臣)発足 6月16日 母体保護法一部改正成立 6月26日 有田幸子第7代日本看護連盟会長逝去 7月1日 新参議院議員会館使用開始 7月11日 第22回参議院議員選挙投・開票日
たかがい恵美子候補当選(得票数210,443票 自民党内4位)
自民党改選38議席を51議席獲得、参議院で与党過半数割れで、ねじれ国会となる7月20日 衆議院新議員会館使用開始 7月25日 南野知惠子参議院議員退任(3期18年) 平成23年(2011年) 3月4日 厚生労働部会・看護問題小委員会合同会議で「穏やかな最期を保証するコミュニテイづくりのための政策推進について」中間報告書案作成、厚生労働部会に受理される。 3月11日 14時46分マグニチュード9.0の規模で東北地方太平洋沖地震発生。巨大津波、福島第1原子力発電所事故等甚大な災害が広範囲に発生。
15時 自民党内に東日本巨大地震・津波緊急災害対策本部を設置(谷垣総裁本部長)。あべ俊子・たかがい恵美子議員は各々事務局次長、「医療班」として被災者支援活動にあたる。日本看護連盟は災害支援を目的とした姉妹都道府県体制を組み必要な支援を開始。4月1日 支部数全国で665支部 4月15日 平成23年度第1回都道府県看護連盟会長会で被災3県(岩手・宮城・福島)看護連盟会長が被災状況報告 於:衆議院第二議員会館多目的会議室 4月10日・24日 第17回統一地方選挙
看護職当選者
山口県議会議員 藤井律子(3期目)
札幌市議会議員 宮村素子(5期目) 小嶋裕美(2期目)
金沢市議会議員 久保洋子(2期目)
相生市議会議員 中野有彦(新人)
八女市議会議員 萩尾 洋(新人)
人吉市議会議員 三倉美千子(2期目)6月14日 平成23年度日本看護連盟通常総会 於:東京プリンスホテル 9月2日 菅内閣から野田佳彦内閣(第95代総理大臣)に交代 平成24年(2012年) 4月1日 支部数全国で679支部 6月6日 看護政策推進集会 於:アパホテル東京ベイ幕張 6月15日 平成24年度通常総会 於:東京プリンスホテル
第23回参議院議員選挙に日本看護連盟前幹事長石田昌宏氏が組織内候補予定者に承認される11月16日 衆議院解散(野田内閣) 11月20日 見籐隆子前会長逝去 12月16日 第46回衆議院議員総選挙
あべ俊子候補 中国ブロック比例3選 53,986票
自民党119議席から294議席に圧勝、再び政権交代となる12月25日 石田まさひろ候補予定者自由民主党公認を受ける 12月26日 自由民主党・公明党連立政権樹立
第96代内閣総理大臣安倍晋三就任平成25年(2013年) 4月1日 支部数全国で683支部 6月13日 平成25年度通常総会 於:ザ・プリンス・パークタワー東京
清水嘉与子会長退任 草間朋子新会長に引継ぐ
「石田まさひろ政策研究会」総決起大会7月21日 第23回参議院議員選挙投開票
石田まさひろ候補当選(得票数201,109票 自民党内11位)
参議院も自公連立与党の過半数に復活10月22日 南野知惠子顧問「シーナカリン皇太后賞」(タイ王国)受賞 平成26年(2014年) 4月1日 支部数全国で681支部 4月17日 日本看護連盟公認 マスコットキャラクター「カンタ」「レンコ」誕生